千葉ロッテからメジャー移籍した歴代選手5選!佐々木朗希は成功する?

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2022年に完全試合や奪三振記録を達成した、千葉ロッテマリーンズ・佐々木朗希選手。

近い将来、メジャー移籍を希望されていることはみなさんご存知ですよね。

佐々木朗希選手が所属しているロッテからは、歴代5人の選手がメジャーに移籍しています。

佐々木朗希選手がメジャーに挑戦するにあたって、ロッテの先輩選手たちがどのような成績を残していたのか、気になる方も多いのではないでしょうか?

今回の記事では、ロッテの先輩選手たちのメジャーでの活躍を振り返り、佐々木朗希選手がメジャーで成功するのかどうかについても予想してみたいと思います。

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目次

ロッテからメジャーリーグに挑戦した歴代5人の選手

伊良部秀輝

MLBでの成績 ※参考:週刊ベースボール

スクロールできます
チーム防御率試合数勝利敗戦投球回数勝率完投完封セーブホールド奪三振
1997ヤンキース7.09135453 1/3.556000056
1998ヤンキース4.0629139173.5912100126
1999ヤンキース4.8432117169 1/3.6112100133
2000エクスポズ7.24112554 2/3.286000042
2001エクスポズ4.8630216 2/3.000000018
2002レンジャース5.74383847.2730016230
MLB通算5.151263435514.49342162405
伊良部秀輝 MLBでの成績

ロッテからメジャーに挑戦した代表的な選手といえば、伊良部秀輝選手です。

写真引用元:Number Web

伊良部選手は主に先発投手として活躍していたイメージでしたが、入団後数年間は、先発やリリーフ兼任となり、固定された起用法ではありませんでした。

当時のプロ野球最速の球速158キロのストレートに加え、140キロを超えるフォークボールを武器にした投球スタイルで、数々の打者をアウトにしてきました。

1993年シーズンには、西武ライオンズ清原和博選手との対戦で、球速158キロを計測し、当時のプロ野球の最速記録をマークしました。

以降、清原選手との対戦はホームランを打たれたり、三振を奪ったりと「平成の名勝負」と注目されるようになり、プロ野球ファンを盛り上げるプレーをしていました。

1994年には最多勝と最多奪三振1995年にも最優秀防御率と最多奪三振のタイトルを獲得し、日本を代表する投手に上り詰めます。

その後、伊良部選手は1996年オフにメジャーへの移籍を果たしますが、移籍には日米を巻き込む大騒動に発展。NumberWEBにてその詳細が取り上げられています。

写真引用元:Number Web

伊良部選手が希望する移籍先は「ニューヨーク・ヤンキース」でしたが、ロッテは提携関係にあった「サンディエゴ・パドレス」と選手保留権を譲渡する契約を締結します。

ヤンキース一択の姿勢を貫いていた伊良部選手は、パドレス移籍を断固拒否。

伊良部選手は自分の意志を貫き通し、結果三角トレードという形でヤンキースへの移籍が実現します。

この伊良部選手の対応に対し、メディアからは「わがまま」「悪童」とバッシングされることになります。

紆余曲折あったものの、ヤンキースへの入団が決まり、ニューヨークでは「日本のノーラン・ライアン」が来ると大きな期待と注目を集め、大変な歓迎ぶりでした。

メジャーデビュー戦となったデトロイト・タイガースとの試合で、6回2/3を5安打2失点、9奪三振と期待通りの投球で初登板を白星で飾ります。

しかし、その後の登板では不調が続き、デビューから3試合目の登板は7回途中7安打6失点と散々な結果に。

降板する際、ブーイングを浴びせてきたスタンドのファンに向かってツバを吐く暴挙に出てしまい、球場外でのトラブルが目立ってしまうようになります。

それでも、2年目のシーズンは13勝をマークし、チームのワールドシリーズ制覇に貢献日本人初のチャンピオンリング獲得という偉業を達成しました。

しかし、3年目のシーズンが終わると、マスコミを敵に回してしまうことが影響し、チームから放出される形に。

以降は「モントリオール・エクスポズ」「テキサス・レンジャーズ」と2球団を渡り歩くも、思うような成績を残すことができませんでした。

レンジャーズ時代は、クローザーとして16セーブを挙げるなど好投を続ける時期はあったものの、肺血栓が見つかったことを受け、伊良部選手のメジャーでの活動に終止符が打たれます。

伊良部選手は、日本球界に復帰する道を選択し、2003年シーズンから星野仙一監督率いる阪神タイガースに入団。その年に13勝をマークするなど、阪神のリーグ優勝に大きく貢献しました。

しかし、阪神在籍中の2004年の春季キャンプ地先において、泥酔状態だった伊良部がスナックで他の客に暴力行為を働き、罰金30万円の処分を受けてしまうなど、日本球界復帰後もトラブルは絶えませんでした。

2005年開幕前に、プロ野球選手としての現役を引退することとなります。

そして、2011年には、ロサンゼルス郊外の自宅で亡くなっていることが判明し、生涯を終えています。

ニューヨークでのメディアから牽制を受けてしまったり、ファンへのツバ吐き事件や、沖縄での泥酔暴行事件など、トラブルが絶えない印象の伊良部選手。

しかし、伊良部選手の人柄は、決してメディアで叩かれているようなことはなく、スポニチの記事によると、ロッテ時代の同僚や後輩選手からは、口を揃えて伊良部選手を慕うコメントが多く寄せられています。

たまたまメディアから間違った報道をされてしまったことで、悪いイメージが先行してしまい、周りからのバッシングもあったために、伊良部選手にとっては少し残念な生涯の終え方だったと感じてしまいます。

それでも、ワールドシリーズ制覇や、リーグ最多勝や最多奪三振など、伊良部選手がメジャーで残してきた実績は素晴らしいものでした。

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小林雅英

MLBでの成績 ※参考:週刊ベースボール

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チーム防御率試合数勝利敗戦投球回数勝率完投完封セーブホールド奪三振
2008インディアンズ4.53574555 2/3.444006235
2009インディアンズ8.3810009 2/3.00000004
MLB通算5.10674565 1/3.444006239
小林雅英 MLBでの成績

「幕張の防波堤」の異名を持つ小林雅英選手も、メジャーに挑んだ選手の1人です。

写真引用元:日刊スポーツ

小林選手は、1998年のドラフト会議でロッテから1位指名を受け入団した選手です。

速いストレートと、高速シュートやスライダの左右の揺さぶりをかけ、力で打者をねじ伏せるタイプの投球スタイルで、長きにわたりロッテのクローザーとしてポジションを確立してきました。

2005年には最多セーブのタイトルを獲得し、日本プロ野球通算228セーブを挙げる功績を残しています。

そんな小林選手ですが、2007年オフにメジャー挑戦のため海外FA権を行使し、「クリーブランド・インディアンス」に2年契約で入団します。

日刊スポーツの記事によると、1年目の2008年シーズンは1年間通じてメジャーに在籍し、主にリリーフとして57試合に登板し、4勝5敗、防御率4.53、2ホールド6セーブとなり、1年目としてはまずまずの成績を残します。

しかし、2年目の2009年シーズンは不調に陥り、10試合登板で、防御率8.38。5月半ばにマイナー降格し、3Aでは18試合に投げ2勝2敗1セーブ、防御率4.66の成績でしたが、球団から契約を解除されてしまいます。

メジャー他球団からのオファーを待つ形での契約解除となったようですが、メジャー球団からのオファーはなく、

「日米問わず、自分を評価してくれて、契約してくれる球団が出てきてくれればいいと思う」

引用:日刊スポーツ

とコメントし、日本球界復帰も視野に移籍先を探すことになり、小林選手のメジャー挑戦は終了となりました。

その後、読売ジャイアンツ、オリックスバファローズに1年ずつ在籍する形となり、2011年オフに現役引退を迎えることとなりました。

小林選手は、残念ながらメジャーにて日本プロ野球の時のような成績を残すことはできませんでしたが、1年目に1年間降格することなくメジャーに居続けられたことは、小林選手にとっては一生の財産となったのではないでしょうか?

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薮田安彦

MLBでの成績 ※参考:週刊ベースボール

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チーム防御率試合数勝利敗戦投球回数勝率完投完封セーブホールド奪三振
2008ロイヤルズ4.78311337 2/3.250000025
2009ロイヤルズ13.50122114.66700009
MLB通算7.14433451 2/3.429000034
薮田安彦 MLBでの成績

長きにわたりロッテのセットアッパーとしてチームを支えていた薮田選手も、小林選手と同時期に海をわたり、メジャー挑戦した選手の1人です。

薮田選手は、入団後はしばらく先発投手を務めていましたが、先発として今一つの成績が続きます。

2004年シーズンに転機が訪れ、チーム事情からリリーフに転向すると、先発投手の時は140キロ台に収まっていた球速が、リリーフへの転向を機に150キロ付近まで計測するようになるなど、好調を維持。

この年は66試合の登板となり、リリーフとしての才能が開花した形になります。

その後も、小林選手、藤田宗一選手とともに「YFK」と称される勝利の方程式を築き上げ、2005年のリーグ優勝に大きく貢献。

2007年には38ホールドをマークし、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得するなど、強力なリリーフ投手に成長しました。

BASEBALLGATEの記事によると、薮田選手は同年オフに、海外FA権を行使する形で、メジャーに挑みます。

写真引用元:週刊ベースボール

カンザスシティ・ロイヤルズと契約し、2008年シーズンからメジャーで登板しますが、2シーズン通算で43試合の登板で防御率7.14、3勝4敗でホールド、セーブともになしと、思うような結果を出せず、残念ながら2年で帰国となってしまいます。

思うような結果を残せなかった背景として、薮田投手は日々の過ごし方に日本とメジャーとの違いが多くあったことを挙げています。

移動時間や試合間隔、試合前の練習方法、英語でのコミュニケーションなど、環境の変化に馴染んでいくことに苦慮されていたようです。

2009年からは、古巣のロッテに復帰し、日本プロ野球に復帰します。

セットアッパーや守護神など貴重なリリーフとして、メジャー挑戦前の調子を取り戻していることを踏まえると、やはり慣れた環境下でプレーをすることが、最大限のパフォーマンスを発揮でき、好成績にも繋がることがわかりますね。

結果の数字だけに注目すると、薮田選手がメジャー挑戦したことは成功とは言えなかったかもしれませんが、「挑戦しなければわからないこと」を得た経験の方が人生の糧になっているようです。

薮田選手本人としては、メジャーへの挑戦は成功と言い切れるのではないでしょうか?

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澤村拓一

MLBでの成績 ※参考:週刊ベースボール

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チーム防御率試合数勝利敗戦投球回数勝率完投完封セーブホールド奪三振
2021レッドソックス3.04555153 1/3.8330001061
2022レッドソックス3.73491150 2/3.500000340
MLB通算3.3810462104.75000013101
澤村拓一 MLBでの成績

澤村選手は巨人在籍のイメージが強いですが、2020年シーズン途中からトレードによりロッテに移籍してきた選手です。

澤村選手は、巨人入団直後は先発投手として活躍していましたが、後半はリリーフ投手として活躍します。

2016年シーズンでは、37セーブをマークし、最多セーブ投手賞のタイトルを獲得

巨人の守護神としてマウンドに君臨します。

2017年シーズンの春季キャンプ中、球団トレーナーによるはり治療のミスの影響から、腕の神経まひと診断されたことを受け、プロ入り初の1軍登板なしに終わってしまう不運に見舞われます。

はり治療ミスの影響もあってか、その後のシーズンも思うような活躍が残せず、2020年シーズン途中にロッテの香月一也選手との交換トレードが成立。

突如、ロッテに移籍することになりました。

写真引用元:Full-Count

ロッテ移籍後の澤村選手の2020年シーズンの成績は、22試合の登板で防御率1.71、1セーブ13ホールドと、シーズン途中ながら好成績を残し、巨人在籍時とは別人のような成績を残すことができました。

Full-Countの記事によると、ロッテ移籍後の澤村選手の活躍に、メジャー複数球団が興味を示していたようです。

澤村選手の長年の夢であったメジャー移籍を叶えるため、2020年シーズンオフに海外FA権を行使。その後「ボストン・レッドソックス」への入団が決定しました。

2021年シーズン、ボルチモア・オリオールズとの開幕戦でメジャー初登板を果たし、1回を1安打無失点に抑える上々のデビューとなります。

その後も初ホールドを記録するなど好投を続け、最終的に55試合の登板で5勝1敗10ホールド、防御率3.06の成績を残します。

写真引用元:スポーツ報知

しかし、2年目の2022年シーズンは、49試合の登板で、防御率3.73と成績を落としてしまい、同年オフには自由契約となってしまいます。

デイリーの記事によると、自由契約となった澤村選手にメジャー3球団以上が獲得に興味を示していたものの、最終的にはメジャー挑戦へのきっかけを作ってくれた2023年に古巣のロッテへの復帰の道を選択することになります。

澤村選手のメジャーでの実績を考慮すると、ロッテ以外の球団で日本プロ野球に復帰という選択肢もあったかもしれません。

しかし、澤村選手はメジャーに送り出してくれたロッテへの恩返しとして復帰してくれることになり、球団もファンも喜んでいたことでしょう。

メジャーでの経験を活かし、ロッテのブルペン陣に好影響を与えてくれる貴重な現役選手です。まだまだ、これからの活躍にも期待したいです。

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西岡剛

MLBでの成績 ※参考:週刊ベースボール

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チーム試合数打率打数安打二塁打三塁打本塁打打点盗塁四球三振出塁率
2011ツインズ68.226221505001921561.278
2012ツインズ3.00012000010140.071
MLB通算71.2152335050020216101.267

西岡剛 MLBでの成績

野手で唯一、ロッテからメジャーに挑戦した選手が、西岡剛選手です。

西岡選手は、ロッテの不動のリードオフマンとして、2005年のリーグ優勝、日本一。2010年の下剋上日本一の立役者として活躍していた選手です。

2005年シーズンから2年連続の盗塁王、2010年シーズンには首位打者、最多安打のタイトルを獲得するなど、ロッテのスター選手として昇りつめました。

スポニチによると、2010年シーズン終了後、西岡選手は「メジャーリーグの夢を叶えたい」「日本人野手の評価をあげたい」とロッテ球団にポスティングシステムを利用してのメジャー移籍を懇願します。

写真引用元:スポニチ

ロッテ球団はポスティングを容認し、ミネソタ・ツインズが交渉権を獲得。西岡選手のメジャー移籍が決まり、ロッテ出身選手初の日本人野手となります。

2011年シーズンでメジャーでの出場を果たすも、デビューから6試合目の守備において、相手チームの走者から激しいスライディングを受けて負傷。左すね骨折の重傷を負い、故障者リスト入りとなってしまいます。

その後も8月に右脇腹を痛め、再度故障者リスト入りするなど、怪我に苦しむシーズンとなり、シーズン成績は68試合の出場で打率.226、19打点、2盗塁の成績に終わってしまい、日本で残してきたものとはかけ離れた成績となってしまいました。

翌年2012年シーズンも、マイナーからのスタートとなり、チーム事情からメジャー昇格するも、最終的にわずか3試合の出場にとどまり、12打数ノーヒットと散々な結果に終わってしまいます。

その後は自由契約となり、西岡選手のメジャー挑戦は不完全燃焼のまま終了を迎えました。

メジャー初年度の守備の際に負った怪我がなければ、もっと活躍していた可能性があるだけに、非常に悔やまれる形となってしまいました。

交錯プレーにも耐えられる屈強な体というのも、内野手としてメジャーで成功するために必要な要素なのかもしれません。

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まとめ 〜ロッテ・佐々木朗希にメジャー挑戦は成功するか?〜

今回の記事では、ロッテからメジャーに移籍した歴代5人の選手について紹介してきました。

野球選手であれば誰もが憧れるメジャーリーグですが、国を超えた移籍にあたっては、言葉や文化、練習ルーティンの違い、移動時間、怪我の影響など、様々な環境の変化が伴います。

ロッテからメジャーに移籍した選手の成績を見ると、日本で残していた成績どおりにはならず、成功するには環境の変化への優れた対応能力が必要となることがわかりますね。

佐々木朗希選手も、メジャー挑戦を公言していますが、環境の変化に対応していくための強い精神力が必要となってくると思います。

いずれにせよ大前提として、ロッテからメジャーに挑戦した選手の共通点は、まずはロッテで活躍しチームに貢献していたということです。

佐々木朗希選手がメジャーに移籍するにあたっては、まずはロッテを優勝に導くような投球をみせてもらい、誰しもが納得する形でアメリカに送り出してあげたいですね。

2024年シーズン、怪我もあって思うような成績が残せていない佐々木朗希選手ですが、5人のロッテの先輩方の想いも胸に、メジャー挑戦への布石を築き上げて欲しいと願っています。

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この記事を書いた人

プロ野球千葉ロッテマリーンズファン歴20年のイッテツです。
ロッテを中心に、プロ野球選手やチーム等に関するお役立ち情報を記事にまとめています。
日々、ロッテの野球中継や速報を見て一喜一憂しており、生活の一部(My Life)となっています。どうぞよろしくお願いします!

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